<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>淘汰と選択について [1/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><strong>芸術性理論研究室<br><font size=3 color=#646f76>M<font color=#667077>e</font><font color=#677279>t</font><font color=#68757c>a</font><font color=#60777e>f</font><font color=#717b82>o</font><font color=#747e85>r</font><font color=#7a8389>c</font><font color=#80898f>e</font><font color=#889096> I</font><font color=#8e9698>c</font><font color=#959da1>o</font><font color=#9ea5a9>n</font><font color=#a7adb1>o</font><font color=#b0b6b9>c</font><font color=#b6bcbf>l</font><font color=#bdc2c5>a</font><font color=#c7c8ce>s</font><font color=#d6d9da>m</font></font></strong></div><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2005.txt" --><br>[コラム] 02.09.2006</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>淘汰と選択について [1/2]</font></div><div align=right><font color=#351923>ayanori [高岡 礼典]</font></strong><br><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 頁：1：<a href=020906-2.htm> 2 </a> 】</font></div><font color=#12123d><p>　私達の生活空間内に目的論をなくしてしまうと多くの方々が活動や思考を停止してしまうことと思います。プロジェクト性がなくなってしまっては人は今現在なにを行えば良いのか分からなくなってしまうことでしょう。ワーカホリックだった退職者が鬱や死を産み出すように。「生き甲斐」という言葉は他者追従的で未来言及的な目的論の本質を形容するとともに、それが世俗の一般動因として採択されていることを示しています。目的内容が利己的であろうと利他的であろうと「目的自体」が形容性・観察可能性あるもののため「相互支配による自己制御系」では統合原理のひとつとして役立つことになります。</p><p>　自然空間から「人」を分化するために先輩方は『人類と社会』を原目的として設定しました。現代に生きる私達も当然のように訓育され信仰させられています。それは目的論に賛同できない者は外部へと弾かれる時代に生かされていることを意味します。しかしそれがイデオロギーの認識原理として装備されることによって世俗の多くが素朴な事実認識すらできなくなっていることをここで知る必要があるでしょう。経験科学であろうが哲学・思想であろうが現代における学問域で目的論を謳う者は醜悪な素人として追放されてしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>　マスメディアの経済欄を覗いてみると、未だに「市場淘汰」という言葉に出会います。本来「淘汰」とは必要／不必要を行為以前に直知・決定することによって開始される目的遂行的な選択活動を意味するのですが、これも滑稽な社会現象のひとつです。</p><p>　この言葉が世俗へ流布する契機となった最大の事件はダーウィニズムの&quot;natural selection&quot;を当初「自然淘汰」と訳してしまったことにあります。知的コンプレックスの強いわりにスノッブでい続ける者には学問営為による産物は「絶対」として無批判に受容されてしまう傾向にあるので未だに使用されることになっているのでしょうが「淘汰」などといった言葉は現代の学問域で用いられることなどありません。</p><p>&gt;&gt;<a href=020906-2.htm>次頁へ進む</a></p></font><font size=1><div align=center>【 頁：1：<a href=020906-2.htm> 2 </a> 】</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>