<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>血流知覚への憧憬 [1/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><strong>芸術性理論研究室<br><font size=3 color=#646f76>M<font color=#667077>e</font><font color=#677279>t</font><font color=#68757c>a</font><font color=#60777e>f</font><font color=#717b82>o</font><font color=#747e85>r</font><font color=#7a8389>c</font><font color=#80898f>e</font><font color=#889096> I</font><font color=#8e9698>c</font><font color=#959da1>o</font><font color=#9ea5a9>n</font><font color=#a7adb1>o</font><font color=#b0b6b9>c</font><font color=#b6bcbf>l</font><font color=#bdc2c5>a</font><font color=#c7c8ce>s</font><font color=#d6d9da>m</font></font></strong></div><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2007.txt" --><br>[コラム] 02.14.2008</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>血流知覚への憧憬 [1/2]</font></div><div align=right><font color=#351923>ayanori [高岡 礼典]</font></strong><br><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 頁：1：<a href=021408-2.htm> 2 </a> 】</font></div><font color=#12123d><p>　もしも身体内部・全身に張りめぐっている血管が、─大動脈から微細な毛細血管に至るまで─&nbsp;血液の流れを感じ取ることができたのならば、私達はそれほど自己に畏れることなく、ポジティブな社会妄想に泥酔したまま安楽死を迎えられるかもしれません。病に倒れ、身体の内部感覚が疼かされる時、悶絶へ堕しつつも、確か自己対象化の目眩の中で表れる自己を詛うは、無自覚の皮肉です。一人称を口走らせている自我は、感じ取れない自己に包まれながらも逆止弁を備えた経路で操作され、無色透明な相をみせていきます。それは決して見ることができないにもかかわらず、到達可能な範囲内でならば、触知にも似た延長性を垣間見せてくれます。そのため、アウェアネスの場面は、否定の反省を必要とするのですが、そうであるが故に&nbsp;─不可逆と延長の矛盾拮抗によって─&nbsp;反意味論のスパイラルに捕われ、不動の不動を構成していきます。苦の通俗的理解は多くがこの反意味論にあるのですが、苦が苦の位置価から外された場合、私達はどのような認識論理を選び取るのでしょうか。</p><p>　上述した血流知覚を想定します。指先からつま先、脳内を満たしいく血液の激流を常に知覚し、認識する者は、おそらく鏡を必要とすることなく自身の姿を塑像できるくらいの「即自把持」を生きていることでしょう。いま感じ取っているこの「流れ」は、身体のどの部分、どの血管を蠢く『流れ』であるのか徹底して同定できるのならば、交感神経を刺激することなく、身体図式は細密化し、部分部分の相互関係の関係化までをもシェーマとして構成可能になるので、自己を資料にすることで、解剖学を不必要にしたまま身体模型を作り、ビデオカメラの発明を待つことなく、身体運動のアニメーションを忠実に再現してくれるはずです。前景にある対象へ向かい、集中した作業を行っている間にも、頸動脈と鎖骨がつくる首筋の陰影や、背骨と肩甲骨がつくる背中の流線を観想し、日中の一般生活ではあまり俎上に載ってこない足全体の裏面、膝の裏や、ふくらはぎの様態を描いているので、衣服が邪魔になるほどの自己把持、否、アナフィラキシーショックを超えた自己確定を日常として過ごしていることでしょう。</p><p>&gt;&gt;<a href=021408-2.htm>次頁へ続く</a></p></font><font size=1><div align=center>【 頁：1：<a href=021408-2.htm> 2 </a> 】</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>