<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>振動について [2/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2007.txt" --><br>[コラム] 03.07.2008</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>振動について [2/2]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=030708.html> 1 </a>：2 】</font></div><font color=#12123d><p>　触覚の含意性による特殊性は、触れるだけで不可知であるボリュームを認識へとミスリードさせる『<a href=052807.html>漠</a>』を内属させている点にあるのですが、不確かな誤読の偽法でしかないので、確定判断へと近づけさせるには、別個にもうひとつトリックを挿入させる必要があります。体験者から対象へと臨む『<a href=052807.html>漠</a>』は勝手な働きかけ・能動になるので、そこを打ち消してもらうために、無口な個物対象に『<a href=052807.html>漠</a>』へ向かって喋ってもらうことにします。対象を激しく揺さぶり動かし、触知に起伏の文脈をつくります。ニュートン物理学を動的に現象化することによって、対象のボリューム・自重告白が始まります。しかし触覚は点的与件を積極的には認識できないので、振動を感じ取っている場面は、形式・枠組みなき意味の確保・構成しかできないはずです。私達が振動体の動きに抗うように個物を手中に封じ込めようとする場面とは、振動文脈を&quot;0&quot;へと無限接近させることによる単語制作に他なりません。振動という力動的関係は、「揺れ動き」の干渉によって、ボリュームに関する意味内容を充足していくのですが、「動き」を知ることはできても、「動き」を確定認識できない逆説を突破するために、「振動と静」の平衡点を目指して「振動圧殺」を実行することになります。</p><p>　経験科学的に見れば、物を構成する原子・分子は激しい動体として形容されるので、私達を取り巻く自然環境には、ひとつも静物が存在しないことになります。しかし認識域には「動き」を超えた現象が創発し<font size=1 color=#664444>(*)</font>、それがなければ認識活動も、おそらく社会活動すら継続できません。日常を満たす&quot;スティル&quot;ひとつですら、研究の余剰は残されています。</p><p><font size=1 color=#664444>(*)仮に、閾が無限であったとしても。</font></p></font><font size=1><p align=center>【 頁：<a href=030708.html> 1 </a>：2 】</p><div align=right>2008年3月7日<br>ayanori [高岡 礼典]</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>