<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>空間と場 [2/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2007.txt" --><br>[コラム] 05.14.2007</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>空間と場 [2/2]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 PAGE：<a href=051407.html> 1 </a>：2 】</font></div><font color=#12123d><p>　ここでの「空間」は物理的な延長を指すのではなく、複合的な関係の関係があるか否かによって判断されています。「言表空間・批評空間」などといた造語を理解できるように、「空間」とは非単一性を十分条件とする浸透性の高い言葉であるといえます。そのため私達は地(面)のない空間につて独想することが許されるのですが、それは空間が環境を意味すとは限らないことをも意味しています。</p><p>　それに対して「場」は環境性を必要条件としています。独りで場を構成配置することはできません。場とは複数の産出原理による「複合的な関係の関係」の制作によって、新たにハイブリッドのアプリケーション(空間)を設けようとする「営み」です。一見では単純にシステム[A]の産出項が次回のシステム[B]の部分となるような、相互にプログラムを書き換えあう空間であるかのように思えますが、それが成立した場合、私達は「会話」を失ってしまいます。無秩序な連想による遣り取りを「会話」と呼ばないように、それは議題という共有的な系によって制御されます。場の参加者による発言(産出項)は議題への変数入力ではなく、構成要素の組み込みを意味します。もしそれが変数入力を意味したのなららば、既にある不動の系(ROM)の反応を相互に確認しあうだけとなり、議題がブラックボックス化してしまい、その外挿活動が会話になってしまいます。対峙関係が並列化してしまうということです。不確定な系が集合することによって始まる場に、完成された系が初めから存在するわけなどなく、変数入力やインタラクティブ・アートと称されるものの多くが空想的な誤謬・徒花であることが分かります。</p><p>　それまでに他者の手によって構築されてきた産出原理を組み換えても前場面と同等の作動が確認される場合、理解の表現となり、前場面の系を指し示さないような項を産出した場合、主張や反駁を意味し、他者の次回の発言(組み換え)・行為を封じてしまう場合、自己の無理解を表現します。このように場とは空間化されることによって他者への到達・伝達期待を指標化していく共働といえます。</p><p>&nbsp;</p><p>　以上は「構造的カップリング」というミスリーディングな術語の訂正であり、「出会いの継続」を叙述するための用語整理的な緒文になります。その本質が勝手な独話であろうと、コミュニケーションは確かなコラボレーションなのです。</p></font><font size=1><p align=center>【 PAGE：<a href=051407.html> 1 </a>：2 】</p><div align=right>2007年5月14日<br>ayanori [高岡 礼典]</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>