<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>空間と場 [1/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><strong>芸術性理論研究室<br><font size=3 color=#646f76>M<font color=#667077>e</font><font color=#677279>t</font><font color=#68757c>a</font><font color=#60777e>f</font><font color=#717b82>o</font><font color=#747e85>r</font><font color=#7a8389>c</font><font color=#80898f>e</font><font color=#889096> I</font><font color=#8e9698>c</font><font color=#959da1>o</font><font color=#9ea5a9>n</font><font color=#a7adb1>o</font><font color=#b0b6b9>c</font><font color=#b6bcbf>l</font><font color=#bdc2c5>a</font><font color=#c7c8ce>s</font><font color=#d6d9da>m</font></font></strong></div><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2007.txt" --><br>[コラム] 05.14.2007</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>空間と場 [1/2]</font></div><div align=right><font color=#351923>ayanori [高岡 礼典]</font></strong><br><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 PAGE：1：<a href=051407-2.htm> 2 </a> 】</font></div><font color=#12123d><p>　「場の空気を読めない人」といわれる方々が多く居られます。たとえば公的メディアを使って、本名・顔写真・経歴・人脈(クライアント)・現住所までをも公開し、有内容な特定的活動を行なう者に対して、個人情報の一切を隠し、活動らしい活動も、独自の切り口らしいそれも一切ない、もしくは公開できない方が、初対面でもあるにもかかわらず、浅薄なアプローチをしたのならば、他者一般の未獲得者として定義され、ぞんざいに扱われても仕方のないことでしょう。広義の匿名主義が公的な場において、対等性を維持できるのは、両者が共に自己隠蔽を順守する場合のみです。それがSNSのように、ある程度まで何度も相互作用を可能とする場であるのなら、尚のことです。いずれ消えるかもしれない管理責任・再現性のない表現者に対し、真摯さは不毛・無益で無用です。この無粋者達が読解できない「空気・雰囲気」とは何なのでしょうか。その空気・雰囲気が存在するとされる場とは何なのでしょうか。</p><p>　単純に理解すれば、「空気・雰囲気」は「場の文脈」のように思われます。しかし「場の文脈」で十分ならば、礼節なき勘違いの輩は現れ出ないはずです。石膏像をモティーフにデッサンすることを要求されて、おもむろに花の絵を描き始める方が滅多にいないように、構造要素の形式的な配置関係を読み誤る可能性は不問にしても良いはずです。通常私達がそれを「読めない人」とラベリングする際に、その振る舞いを頼りにしている点に留意できるのならば、場の空気とは文脈の規範・原理化であることが分かります。「空気を知る」ではなく「空気を読む」という形容は、その意味で正しく妥当であるといえるでしょう。この空気は知覚・認知するものではなく、認識・判断するシステム域における有機的な空間性を指し示しているのです。同じモティーフを同じフォーカスでデッサンしても上手下手があるように、個体差があることは当然となり、「郷に入りては〜」は相も変わらずに命令形を超えられないことが分かります。そして系としての空間と座標を含む場の関係を整理することができます。</p><p>&gt;&gt;<a href=051407-2.htm>次頁へ進む</a></p></font><font size=1><div align=center>【 PAGE：1：<a href=051407-2.htm> 2 </a> 】</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>