<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>脱移動の偽法 [1/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><strong>芸術性理論研究室<br><font size=3 color=#646f76>M<font color=#667077>e</font><font color=#677279>t</font><font color=#68757c>a</font><font color=#60777e>f</font><font color=#717b82>o</font><font color=#747e85>r</font><font color=#7a8389>c</font><font color=#80898f>e</font><font color=#889096> I</font><font color=#8e9698>c</font><font color=#959da1>o</font><font color=#9ea5a9>n</font><font color=#a7adb1>o</font><font color=#b0b6b9>c</font><font color=#b6bcbf>l</font><font color=#bdc2c5>a</font><font color=#c7c8ce>s</font><font color=#d6d9da>m</font></font></strong></div><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2007.txt" --><br>[コラム] 07.28.2007</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>脱移動の偽法 [1/2]</font></div><div align=right><font color=#351923>ayanori [高岡 礼典]</font></strong><br><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 頁：1：<a href=072807-2.htm> 2 </a> 】</font></div><font color=#12123d><p>　大人しくしている猫の足もとに敷いてあるシーツ等を不意にスライドさせたり、上方へと持ち上げたりすると、悪戯した本人のほうが驚いてしまうくらいのパニック状態へとおちいり、飛んで逃げていくことでしょう。それは私達の見当識から認識の基盤を担う大地という地(面)の触知が、普段どんなに意識の対象になっていなくとも、延長性を利用して自己を成り立たせている第一的な含意体であるためです。恐怖の筆頭に地震が揚げられる理由もそのためです。地(面)がなければ自己概念も出会いもままならなくなってしまいます。</p><p>　有限の公理は地(面)の全知を禁止するために私達は質差以上に非対称的な関係を構成しています。その対応性が不完全であるにもかかわらず、なぜ歩行場面を「私が歩く・私が移動する」と描写し、「私の周りの世界が移動する」とは記述しないのでしょうか。このコラムでは移動を脱化する体験をとおして被主体性を学びたいと思います。</p><p>　もしも人類が疲労を感じない存在ならば、容易に脱移動の記述ができるかもしれませんが、事実はそれに反しているので、ここで私達は外出する必要があります。北半球にお住まいの方ならば、季節はちょうど夏になるので、プールや海水浴へと出かけてみましょう。裸になり首もとまで水の中に浸ってみます。最初は水流の揺らぎがあり、水温と体温との恒常関係が不安定なので、体表面の大部分が何かを感じ、触覚器官の過剰な反応に震えてしまうかもしれません。この段階で私達は強く自己の存在を確信することでしょう。金属等を素材にして作られた拘束具とは異なり、水による包囲は、非選択項(水)が選択項(自己)以上に柔らかく明確性に欠けてしまい、認識原理では抽象しにくいので、被験者は主体性を現象するはずです。相対的であるにしろ、水圧の劣位によって、私達は『ここからここまでが私である』という確かな境界記述が、自動詞の能動性を崩すことなく可能となり、その『確信』を謳いたくなってしまうのです。</p><p>&gt;&gt;<a href=072807-2.htm>次頁へ進む</a></p></font><font size=1><div align=center>【 頁：1：<a href=072807-2.htm> 2 </a> 】</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>