<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>鳥の世界 [2/2]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../index.html>HOME</a>]<br>&or;<!--#include file="./2009.txt" --><br>[コラム] 08.13.2009</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3 color=#12123d>鳥の世界 [2/2]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</font></div><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=081309.html> 1 </a>：2 】</font></div><font color=#12123d><p>&gt;&gt;しかしながら重曲線を描きながら獲物を追うタカの姿を仰いでしまうと、一筋縄ではいかない様相がみえてきます。通常、人は自己の身体構造に上下左右を一対一対応化して、特別なエンコードを行なうことなく生活しています。頭部は「上」、足は「下」、対称構造を単一構造をたよりにして分割し、「左右・水平」の概念化に成功しています。常に地(面)ととも他(者)と出会うため、「出会い」は「私とあなた」を触知的に含意構成できます。ここで「飛ぶ鳥」は触覚環境ではなく、方向定位のみによる直感的な視認環境を生きていることが分かります。そして縦横無尽に翔る「タカ」によって、自己を保ったまま連続的に体勢コードを組み立て直していく存在であることも推測できます。かつて頭(上)であったものが下になり、足(下)であったものが右になり、左翼であったものが上になりと、めくるめく位置価の変化の中で、それでも尚、視野に入る「何か」を対象化して、自／他競合に勝利して、仕留める技は、形容を失ってしまいます。</p>

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<p>　不可能は人にとって脅威にうつります。でも鳥は、かよわく気遣い深い生き物です。ひとりで遊んでいても、必ず皆のもとへと戻っていきます。鳥は自身の弱さを直知していたから、猫が森に留まり、木を登ったように、空へ逃げたと比喩すべきなのでしょう。</p>

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<font color=#65192d><p>　私はあなたを抱いてあげられないから、あなたを卵で産み落とし、一生分の『ぬくもり』をあなたへ贈ろう。私はあなたを抱きしめられないけれど、さびしさはこの羽で包み込んであげよう。あなたが彼方へと羽ばたき消えていく日まで。</p></font></font><font size=1><p align=center>【 頁：<a href=081309.html> 1 </a>：2 】</p><div align=right>2009年8月13日<br>ayanori [高岡 礼典]</div><!--#include file="./footer.txt" --></body></html>