芸術性理論研究室
Metaforce Iconoclasm
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[コラム] 09.10.2009

魚の世界 [1/2]
ayanori [高岡 礼典]
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 人間の身体構造を無重力下へ設置し、地(面)を奪い取ったとしても、とりあえずの生は確保できるかもしれません。しかし気圧を取り除いた刹那、それは大爆発とともに飛散してしまいます。この古典的な周界圧の問題を、私達は義務教育の理科や家庭の授業をとおして学び、幼いながらも知的恐怖を経験します。日常において積極的に感じ取れない「圧」を概念的に構成し、認識ひとつで『こんなにも世界は変わってしまうのか』と、わずか十歳たらずで学びます。

 皮膚と皮膚の間にある「空隙」によって「自己」の構造が保たれている単純な事実は、システム先行の至上性を減速させ、私達が有機構造であることを知らせてくれます。「稠密なる無機物の塊の中で、それらの強度を押しのけるかのごとく隆起する」それが、柔らかい肌を備えた有機生命が創発する場面イメージのひとつです。

 おそらくこの周界圧の存在に、もっとも気付きやすい生態域に棲息する種族は、水生生物の彼/彼女らといえるでしょう。もちろん水中を日常とする者らにとって、それは当然ある原環境なので、普段は議題になどならないかもしれませんが、極限まで抵抗をそぎ落としている姿・形や、肌理をつくる「ウロコ」等を、衣食住獲得に重きをおいた陸上動物のそれと比べてみると空想的な疑念がわいてきます。そこで魚類を飼育してみると、それが良く分かります。泳ぎの上手な魚もいれば、苦手な子もいて、水槽の中で毎日のように小さな四苦八苦が観られます。魚に生まれたからといって、誰もが水に慣れるとは限らないようなドラマです。

 この悲喜交々・学習劇を観察していると、その非本能的・非決定的な振る舞いが、魚の擬人化へと誘います。とくに ... >>次頁へ続く

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