芸術性理論研究室
Metaforce Iconoclasm
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[エッセイ] 10.01.2009

REQUIEM '04 - '09 [1/2]
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ayanori [高岡 礼典]
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 人が「人の死」を悲しむために、特別な手続きなど不必要です。人が「人の影」を偲ぶために、仰々しいイコンなど、目障りな侮蔑にしかなりません。ひとり自室で思い出をたぐり寄せるだけで十分です。その人の顔かたち、振る舞いや仕草、においや声、かけられた科白や、乗り越えた日々を思い起し、それがもう二度とないことが、どれだけの可能性を断裁し、浮遊させているのかが理解できれば、人は、はらはらと涙をあふれ落とせるはずです。

 しかしこれはとても難しい技術です。知覚は経験した刹那に器官から消え失せてしまい、フィードバックや表現は、最早第一場面での経験内容を蘇らせてはくれません。どんなに認識の力を駆使しても、『におい』は鼻腔を通過せず、『声』は鼓膜をふるわせず、『姿』は光になりません。残存する『他者の系』は次から次へと行為規範を整えはするものの、従う余地がないため、可能性だけが満開していきます。

 忘却とは何を失ったのでしょうか。想起とは何を思い出しているのでしょうか。無限創造など、幻想の社会を生きなくてはならない者にとって「真理の欺瞞・絶対正しい嘘」にしかなりません。

 『私はあなたにもう一度会いたいと思います。叶うなら誰か私を無限にしてほしいとさえ思います。そうすれば、逝ってしまったあなたを追いかけることができる。そうなれば、あなたが私を愛してくれたように、私は、あなたから私を愛することができる。あなたが感じたように世界を捉え、私が想う世界を寸分違わず、あなたに知ってもらうことができる。でもきっと ... >>次頁へ続く

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