芸術性理論研究室
Metaforce Iconoclasm
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[2005年度版序文]
芸術性芸術主義 [1/3]
ayanori [高岡 礼典]




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 芸術家による芸術家とは何者をもまた一片の夾雑物をも前提、混在させることなく自己触媒的かつオートノミックに自己産出する創造者、ファーストオーダーである。それは歴史的文脈を跳躍する脱帰属的かつ超構造的な自体者を意味する。この神的概念の定義項を「人間」へと回収しようとする近現代以降潜在し続ける通俗的な芸術家の定義の可能的意味の限界を無批判のまま『芸術家』を僭称する厚顔無恥な蒙昧主義者と経験論的観察記述によって芸術知を捏造する評論家との共働、またその詐術に操作された大衆と放棄による先行的敗北者達の保存活動によって我々の眼前に繰り広げられる芸術文化とは擬制的芸術史でしかないものを連接保存しているに過ぎない。そこでは芸術と決定論(事実即規範)のパラドクスが平然と無矛盾として描かれている。

 本研究室は人類史上、芸術の定義を完全に充足したものなど寸毫もあり得なかったという越権的言明を契機として開設された。我々は「芸術とは何か」という問いの立て方が誤りであることを理解し、『芸術性とは何か』へと問いを改めることによって新たな立論を見極めることになる。「問」が指向する『答』と接続可能な「対象」が存在し得ないからといって『答』と共に「問」を捨て去る歴史は終わらせるべきである。「問」に誤りがあっても『答自体』に誤りなどあり得ない(*)。「対象」が不在ならば『答』を原理前提化することによって『問』を再産出・再構成すれば良い。『答』を『問』へと再配置することによって我々は知的豊穣のために有意義な契機を創造する。そしてこの『問(芸術性とは何か)』は本研究室が一般的な芸術学とは研究域・研究態度を異にし、他者創造ではなく自己創造の場であることの主張を含意している。本研究室は観察者育成の芸術学ではなく芸術家育成のための理論的エピステーメの研究をメルクマールとしている。この点についての十分な理解を期待するため、以上を以下に若干敷衍しておく。

(*) この特有な命題の原初としてロック[1689,1694,1695,1700]『人間知性論』 大槻春彦訳 世界の名著27所収 中央公論新社1968 第二巻第三十二章 131頁。一般に経験論と称されるロック認識論は最終判断決定者として知性の独立自律性を保証している点において厳密には経験的観念論と言うべきものである。同邦訳 第二巻第一章 82頁、同巻第八章 92頁。

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