芸術性理論研究室
Metaforce Iconoclasm
[HOME]

[研究レポート目次]

[001]

超越不可能性について [1/4]
ayanori [高岡 礼典]
【 頁:1: 2 3 4

 芸術家が切実な想いを伝えるために命懸けで作品を制作し発表しようとオーディエンスはその表層に付帯する形体の差異に戯れアドホックなカセクシスに終始して、相互確認のプロセスもなく沸点を超えるようなムーブメントの継続化もなく『何も理解していない』『何も伝わっていない』『何の評価にもなっていない』と芸術家は不平と嘆きに苛まれる。特殊な表現者に限らず日常の生活空間で行われている言語や身振りを用いた相互作用や相互表現に纏いつく拭いきれないコミュニケーション不全感を(それが仮に成功しているかのように見えようと)我々は必ず抱き『なぜ言葉は想いを伝えられないのだろう』という疑問と虚無感に犯され慢性化している。我々はこのありふれたコピーの一掃をアジェンダとするところから始めなければならない。

 『意味が伝わる』この命題を字義通りに解釈することは不全感の事実説明を不可能としてしまうことだけではなく、自己や知性すら記述外へと放擲することを意味する。仮に『意味が伝わる』のならば我々は他者の言葉自体が自己の経験にならなければならない。サイエンスフィクションすら過去の経験として読書することになり、未来の予言すら現在経験としてしまう。端的に言語記号によって『意味が伝わる』のならば我々は言語記号と意味の区別すら不可能なはずである。記号の多義性とは記号の本来的な無意味によるものである。

 キリスト教神学において父と子(ロゴス)に関しては饒舌に語られるにも拘わらず『聖霊』に関しては神秘的にならざるを得なかった理由が潜在する局面であり、ソシュールによってそれを『恣意性』として楽天的に解されることでシニフィエを内包域に密封しシニフィアンを摘出外延化し言語学を科学化することに成功した局面でもある。さらにヤーコブソンによってコード/デコードの積極的微分化が与えられることによって形而上学域の保存が徹底化された。

 システム論において『構造的カップリング』と呼ばれる相互作用の連接とは構造を媒介にする当事者が構造域における論理的文脈に対して、それぞれ固有のコードに準拠することによって意味を割り当て、後の行為を可能とするように自己ロジックとの関係性を無矛盾に文脈保存することである。我々が通常記述しているコミュニケーションとは構造域に限った論理整合性でしかない。ここで『デコード(理解)』とは伝達者が発したメッセージに内包される『意味の理解』を意味してはいない。一般に『暗号解読』と訳される『デコード』とは人文学的には『複合化』と訳される。これは他者からのメッセージである静的な要素とその要素群が織り成す提示順序という動的な脈絡に対して被伝達者が自己に内包される意味と論理を新たに関係化していく創造的作業を意味する。デコードとは意味と記号の質的飛躍を伴う複合化である。

>>次頁へ進む

【 頁:1: 2 3 4

© ayanori.jp


[△PAGE TOP]
[HOME]
[MAP]