芸術性理論研究室
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自立と自律 [1/2]
ayanori [高岡 礼典]
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 社会システムとは複合的複雑系と称される閉鎖的自律システム(*)である。システムの構成素はコミュニケーションであり人間は社会システムの外部、つまりその環境に存在する(**)。その為に社会という主体の所在は鵺のごとく不可視となり、未だそのコードは「見えざる手」であり共同幻想的(マルクス、吉本)にしか語られない。

(*) 説明するまでもなく原拠はパーソンズからルーマンへ至る社会システム理論である。しかし私の見解では社会システムをオートポイエーシスと形容する事はカテゴリーミステイクだと考えている。その点はF.ヴァレラの思想に賛同したい。現代思想vol.27-4 80頁以下。N.ルーマン[1984](佐藤勉監訳)「社会システム理論(上下)」恒星社厚生閣1993。
(**) 同邦訳、N.ルーマン[1984]、vi頁。選択によって『生』を記述する我々は他者(トポス)と対峙した刹那、もはや完全な自分ではなくなってしまうことを余儀なくする。

 支配者は奴隷の欲望を満たすよう、奴隷は支配者の欲望を満たすようプログラムというコードによって自己完結的に相互関係を構築する。自己の存在容認は他者の存在によって規定される。自己の意味論は他者の捨象を必要条件とし依存する。自立的に見える支配者は非自立的に見える奴隷を権力対象として自覚した時、また奴隷がそれを従属対象として自覚した時、対自的にその主/従関係は転倒する。(プチ・ブルジョアのようなヒエラルヒーの多層化(システム分化)による分割支配はこの構造真理を隠蔽化するための愚劣なるトリックである。)

 これが一般的に説明されるヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」であり、トートロジーの脱・トートロジーである(*)。しかしここで重要な点は自立/非自立ではなく『自律/非自律』である。前者は構造に、後者はシステムにそれぞれ帰属される分析記述言語である。主/従の相補関係が無限反転可能とするにはシステム(主体)が自律系でなければならない。

(*) G.W.F.ヘーゲル[1807](檻山欽四郎訳)「精神現象学」平凡社ライブラリー1997「B自己意識」。

 自己と他者は非同一であるが故に情報伝達不可能的なコミュニケーションを可能とする。表現的な相互作用を行なう際、我々は情報の伝達、交換を寸毫も実現してなどいない。仮に字義どおりの行為が可能とするのならば、伝達者から被伝達者へ情報が受け渡された時、伝達者からその情報が喪失されることを意味する。人間というシステムはそのような現象を経験不可能とする線形系である。いみじくもウィトゲンシュタイン[青色本]が述べているように意味は他者に伝わってはならないのである。>>

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