芸術性理論研究室
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愛と恋 [1/5]
ayanori [高岡 礼典]
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 愛と恋とは論理プロセスの最終項として質的飛躍を架橋する把捉しがたい関係化現象とされる。しかしここでは愛をシステム(ファースト・オーダー)に内属したシステム/構成素間を飛躍する機能として、恋を構成素/構造間を飛躍するシステムにとっての付帯的な属性であるアプリケーションとして論述する。

 愛とは対象を絶対唯一と描写することによって自己と永劫の関係化を構築するシステムが内属し、自己完結した本有的機能の一つである。それはシステムがシステムであるための必要にして十分な条件である。(連続起動を前提とする現代システム論に対して、ここでは『愛』を前提としたシステム論を構想している。)絶対唯一とは大衆を慰める唯一性とは質、または範疇を異にする。後者は種差によって定義され、他者を規定的に含意、前提としている。しかし絶対唯一として認識された対象は内外の区別を払拭し外部に如何なる者の存在も認めず自体的に同定される。それは定義項のみで構成された、規定項を含まない絶対定義である。絶対唯一は対立項を排除した絶対項であり、環境を持たない自己主体である。愛の手段に比較やハイアラーキーはあり得ない。我々の認知は通常、対象を背景から前景化して、境界によって背景を排除・規定項として切り抜くように行っている(*)。『赤』という色も背景色との差異がなければ『赤』として区別する必要もなく、それを対象として区別、認識する必要もない。だが絶対唯一とはその『赤』を背景の介在なしに『赤』として同定、認知することである。そのため絶対唯一は構成素域にはあり得ない現象である。

(*) 『雰囲気』『ランドスケープ』『時代』などといった巨視的視野に基づいた総称的、総体的認識はその段階における一断片現象として考える。

 絶対唯一という自体記述はシステムの同一性によって擬制的に産出、保持される。システムの非同一性とは内属された一機能ではない。それはシステムが産出し自己の周辺に自己拘束していく構成素(プログラム、パーソナリティー)による、関係化を非導入した非連続的な軌跡である。システムの強度(内包量・アンタンシテ)とは無性の一性であり、愛によって同一性と非同一性の形式としてそれを擬似的に外延化する。それは愛によって産出されたものであって、愛ではなく恋である。境界なき領域内において同等産出は形容矛盾である。それは単なる愛の拡大でしかない。(安易なアンチ・コンテクスト理論は無批判なオプティミズムでしかない。)そのため愛を構成素内の支配領域に現象化、連接させることは困難、不可能とされる。 システムは構成素を産出するが、構成素間と支配、対応、充足関係を普遍的に維持するとは限らない。システムが愛の機能によって構成素を自体記述する時、システムはトートロジーを超脱する。愛はシステムの同一性という強度によって担われている。

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