芸術性理論研究室
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信仰と前提 [1/3]
ayanori [高岡 礼典]
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 距離感の無効化を実現するほどのコミュニケーションツールも科学という演繹的絶対者も不在であった西洋中世において、その社会システムの免疫機能の担体は絶対的超越者である『神』的概念に委任せざるをえなかった。地平なき領域において初めて地平を確立する場合、それは無根拠な暴力によるものである。初めから根拠があるのならば地平を引く必要もない。しかし11世紀末カンタベリーのアンセルムスが『プロスロギオン』によりそこへ論理的暴力を加えることによって神学はスコラへと開化した。それはそれまでの暴力を批判可能な対象へと変貌させることであった。つまりアンセルムスは皮肉にもキリスト教を瓦解へと向かわせるエントロピーを創造した嚆矢であった。

 アンセルムスはその前著である『モノロギオン』において用いた前提豊かな論法に対し自己懐疑の念に苛まれていた。そこで彼は権威によって設定された全ドグマを放棄するメソッドを選択することになった。それは他者プログラムを無謬的にインストールするヘテロノミーから段階的に自律性へと接近した事件であった。アンセルムスによる事件とは論理的な『神の存在証明』である。絶対者の論証とは前提を自己言及の無限循環へと投げ入れることを意味する。しかしアンセルムスの推断はそのパラドクスへと介入する以前で立ちすくんでいる。アンセルムスの論証を要約すると以下のようになる。

 『神は最大のものである。神は概念的に存在し、かつ実在する可能性がある。先行的な概念による対象はそれが観察による実在証明がなされた時、実在者の方が大なる可能性がある。(実在空間は概念空間より大である。)もし神が概念的にのみ存在し、それより大である実在空間に存在しないのならば最大である神が最大ではないことになり、神の定義に違反する。故に神は存在する(*)。』

(*) カンタベリーのアンセルムス『プロスロギオン』吉田 暁訳 中世思想原典集成7所収 平凡社1996 189頁以下。

 可能性から必然性を導出したアンセルムスの有名な『神の存在証明』も神の最大性、神の絶対性という前提定義がなければ、その見事な論証も無意味となってしまう。その無・論理的な自明性がトマス・アクィナスに容認できなかった失意点である(*)。(内容に関しては概念と実在の同質的記述に対し指摘しなければならない。システムに対し環境の複雑性の増大事実の前提はルーマンの社会システム論にすら残存している。システムと環境は乖離関係であるため本来的には類推といった連続記述は誤謬のはずである。しかし本小論のテーマから外れるのでここで言及は控える。)

(*) トマス・アクィナス『神学大全』山田 晶訳 世界の名著20所収 中央公論社1980 第1部第2問 117-136頁。

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