<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>複雑性の拡大について [2/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[007]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>複雑性の拡大について [2/5]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：2：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p>&gt;&gt; 我々はどれほどに危険な状況に追い込まれようと回避行動を実行しなければならないわけではない。その危険に対し臨むことも、そのまま自死することも、まったく非整合的な諧謔的行動をさえ行うことが可能なはずである。選択実行のプロセスにおいて環境からの選択圧とは対応関係に限って有効性があるに過ぎない。環境はシステムの行為可能性としての情報を提供しているかように見える<font size=1>(*)</font>。しかしそれは外延的行為、行為の形式であって、行為の内包量はシステム固有の強度による創発性にかかっている。つまり縮減の原理の発生論が不問に付されているために理論の可塑性が低減してしまっているのである。</p><p><font size=1>(*)　言うまでもなくアフォーダンスによる環境定義である。</font></p><p>　ここで可能性をアリストテレス的にデュナミス／ハビトゥス（ヘクシス）へと二分することから始めたい。前者をプロパビリティー、後者をポテンシャリティーと換言すれば理解しやすいだろう。ここで言うプロパビリティーとは可能性の可能性であり、ペルソナなき可能性である。それはシステムの無限／非無限性の無謬性を先行的に疑似概念化したものである。それによって不可知のシステムを越権的に言及可能としている。そしてポテンシャリティーとはシステムの加速度、経験可能性を補完し、質的飛躍における誤謬、懐疑、自己欺瞞を封殺するシステムが自己に対して犯す狡知である。「複雑性の縮減」の説明の際の可能性とは潜在的可能性という意味合いが強く、可能性の限界領域がシステムにとって自明のことのように論述されている。これではまるでシステムが自己の全体を確定記述可能と述べているも同義である。恒常的な閉鎖系でもないかぎり、それは不可能なことである<font size=1>(*)</font>。行為者は複雑性の縮減を行う以前に複雑性の拡大を行っている。複雑性の拡大とは蓋然性の潜在化であり、可能性の創造である。または潜在的可能性からの幅のある抽象である。それが仮に単一のものであったとしても選択実行の前に選択可能領域の把握ないし把捉が行われている。</p><p><font size=1>(*)　ルーマンは古来よりある自己言及性のアポリアをシステムの動因として論述するがここでは採用しない。構成素信仰によるロゴス至上では心的システムを詳述できないことは説明を要しないことだろう。</font></p><p>　システムは目的遂行的、適合的に選択実行を行うが、それは擬似的なものであって、字義通りに遂行や適合しているわけではない。システムと行為は相互不可侵の関係である。自己行為に対するシステムの事後判断は原理的に自己欺瞞である。行為前後では構成素の変化によってシステムはコードを組み換えている。目的産出時のコードと判断時のコードは同一のものではない。ファースト・シークエンスとセカンド・シークエンスは同一、同等の関係ではなく同一性があるに過ぎない。システムはプロトタイプ・コードを産出、所有不可能としている。そのためシステムは判断時のみに利用可能なコードによって目的の再産出から判断までを、そのシークエンスで全て行っている。行為判断とは受動的なフィードバックではなく、常に能動的な新たな関係化によって成立している。システムは自己を投企するよう目的を産出し、それを超えるよう行為し、更にまたそれを超えるように判断を行っている。現行為はシステムによって先行決定されてはいない。その文脈化は更新されたコードによって恣意的かつ創造的に行われる。この複合的な線形を単線形的に再構成する愛によって我々は同一性と時間概念を持ちえている。</p><p>&gt;&gt;<a href=3.htm>次頁へ進む</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：2：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>