<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>複雑性の拡大について [3/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[007]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>複雑性の拡大について [3/5]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p>　構成素域に恒常不変のものはありえない。厳密には構成素の不変が認められても、その文脈化、意味は非普遍的である。そのため拡大と縮減に関する詳述は論理プロセス的記述を超えざるをえない。拡大のコードも縮減のコードも共に自らを機能させている間にさえ自己再構成は継続している。この局面においてコードは自己否定に苛まれプロセス終了の判断が不可能になる。ファースト・シークエンスにおける判断内容がセカンド・シークエンスでは適合しないことやコード外のものになっていることもあるためである。これでは構成素域における関係化の無限増殖という理論立てになってしまい、段階的論述もできず、縮減が縮減として描けなくなってしまう。我々はここでコードという言語を一旦放棄せざるを得ないことに気付かされる。システムの非延長性を記述するには截然とした言語はなじみにくい。そこでコードを「愛と恋」に代換してみる。これによって我々は境界なき心的システムの記述可能性の拡大を企てることになる。</p><p>　複雑性の拡大／縮減の原理を換言すると規範であり、それは自己概念を前提としている。自己であるためには拡大／縮減は不可避である。ここではシステムが自己概念を必然的に産出するとは限らないことを忘れてはならないが、システムの無性の湧出による一性という前提は揺るぎようがなく、如何なる生命体もその一性によって拡大／縮減の論理プロセスを経て、行為者としての実現化を企てている。そのためここで言う自己とは必ずしも反省性を内属したプログラムを意味してはいない。『複雑性の拡大／縮減』は『システム』とトートロジーの関係ではない。システムだからと言って複雑性の拡大／縮減を行うとは限らない。内属機能と獲得機能の混同を払拭することはシステムへの段階的接近である。</p><p>　経験科学的なシステム論において複雑性の拡大はシステムの環境への適応可能性の拡大を意味する。しかし超越不可能性を前提とする心的システム論では採択できない。環境への適応／非適応はシステムが自律的に関係化している結果の二次記述に過ぎない。本小論において複雑性の拡大とは自己回帰的自己概念発生システムが必然的に結果する自己認知的自己言及による相互前提的な自己適応可能性の拡大として定義される。これは伝統的な二元論の残滓である。拡大は自己を必然的に帰結しないが、自己は拡大を前提とする。構成素の関係化内容が単一的連続であったとしてもそれを自己とは呼べない。単一的システムは全てが総体として自己に帰属するために区別の記述機能を発動させる必要性がないからである。自己とは自己言及性のパラドクスを擬似的にしろ超脱しなければならない。自己の発生論や自己と狂気の区別が困難であることもシステム自体がシステム域内にありながらして同質的超越者であるためである。我々の記述域は構成素域における構成素への自己循環である。</p><p>　ここでは自己概念発生論は問わないが自己が発生するには複雑性の拡大が絶対条件である。自己とは自律的に創造された『芸術』である。それはシステムに内属した愛が構成素域に浸透した後天的、創発的なプログラムである。内属した愛とは自体的な自己愛であるために自己は構成素域に何らかの反省・性を伴ってシステムより湧出してくる。（自己の選択的選択が淘汰的選択へと飛躍する局面をここでは言及しない。）構成素域に絶対唯一性が可能ならば我々は区別も時間概念も所有不可とすることだろう。湧出した愛は愛自体ではなく愛によって産出された普遍的に愛を対応者とする線形的プログラムである。システムは一度、自己概念の区別と関係化を産出すると自己からボトムアップ的、否、アスピレート的<font size=1>(*)</font>に拡大を要請し続けなければならない。</p><p>&gt;&gt;<a href=4.htm>次頁へ進む</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>