<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>複雑性の拡大について [4/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[007]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>複雑性の拡大について [4/5]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：4：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p><font size=1>(*)　システムと構成素は同質的な相互環境関係であり、位階秩序的な叙述は不適切である。インスピレート／アスピレートは本来、神秘的な言語だが『神』を斬首した後の思想界（本論考）においてその同質性と伝達不可能性から価値的意味を非内包するものとして用いている。</font></p><p>　システムの一性と愛によって自己形式素は必然的に産出される。しかしその形式内容はそのシステム固有の強度によって創造され充足する付帯素である。自己とは形式の決定論と内容の非決定論の相互浸透によって発生保存される。これは通俗的な『本当の自分』というものは探究的に自己発見可能なスタティックな潜在素ではなく動的に創造しなければならないことを意味し、安易な自己肯定は自己形式愛であり、縮減者ならば必然の利己性であることを意味する。さらにこの世俗思想界に纏綿し続ける誤謬はカント出現以前の西洋思想における観念論と経験論の拮抗に類似している。形式とは超越論的に発生機能するが、その産出内容はシステムと環境の対応契機によってその連接過程を自己創造するものである。システムは無性の愛によって無分別に素因を産出し、かつ文脈性をも湧出し続ける。この自己矛盾的な内属性が構成素域に複雑性の拡大を惹起することになる。複雑性の拡大はこの二重の決定性によって自己を非決定的に決定する自己創造のための前提となっている。</p><p>　複雑性の拡大によってシステムはその固有の強度を非普遍性へと至らせるため、多様化は自己否定のように見えるかもしれない。複雑系は単純系に比べその強度という点において劣位にあるかのように思われるかもしれない。しかしそれも端的な井戸の中の偏屈者と不断の自己批判による超越論的な学者とを比較すれば容易にその相違点の理解が可能である。前者は字義通りの閉鎖系であり認識論を非所有とし自己創造、再組織化なきダブル・スタティック・マシーンだが後者は自己を対象化するかのごとく無媒介に環境を先行する超越論的なスタティック・オート・ダイナミック・マシーンである。一般に環境への適応度によって前者を批判するがここでは伝達不可能性によってその批判説をとらない。ここは自己適応の度合いによって批判するべき局面である。システムが論理プロセスを終了し起動を開始しはじめるまでにシステムは環境の要素について選択／非選択を行なっているわけではない。それではシステムが環境を確定記述可能と述べているようなものである。システム／環境は相互超越関係であり環境に適応するか否かはシステムの記述範囲を超えている。その判断は他者である第二次観察者によるものである。絶え間ない黙殺によって固執するだけの自己完結者とは増殖していく構成素因を組織化することなく散在するにまかせ、自己／環境の描写を行なわない。これは反省を担う第一次観察者・超自我の不在である。ここでいう超自我とは『／』の原理担体である境界者・免疫を意味している。自己完結者は自己と他者の関係化を行なわないという点で非認識系である。非認識系とはそれ自体による一次観察はもとより、関係化の機能を発揮しないため他者によるニ次観察によってすら記述内容を空疎とする恋をコードとするシステムである。非認識系は文脈化を行なわないために意味概念を所有せず、どのような現象が起ころうと起こった事にはならない偽・臨在者である。システムは端的な実在ではなく整合的な意味であることを再度想起しなければならない。それに対して後者の認識系は環境との直接媒介を行うことなく他者を先行記述する。認識系はファーストオーダーからの一性の要請を産出保持すべく連続文脈化を行っている。それによって意味が豊饒化されるにもかかわらず、他者記述を行うには一性の受容体である自己形式によって支配項を自己として非支配項を非自己として区別、選択することを前提としなければならない。&gt;&gt;</p><p>&gt;&gt;<a href=5.htm>次頁へ進む</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：4：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>