<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>関係等価性について [2/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[013]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>関係等価性について [2/5]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：2：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p>＊</p><p>　動因概念が有効性を保持しているシステム論では自己の作動継続の説明に苦心しなければならない。截然とした理論的区分のなきままに、その永続性をメカニカルに論述してしまうため、それらは往々にして永久機関開発物語的な空想的な錬金術の製作に終始する。河本オートポイエーシスですら連続創造を前提としているにもかかわらず、動因の再獲得・維持についての理論構築に拘泥している。作動の連続性を前提にしているのであれば自己の運動に組み込まれるものを自己、排除されるものを非自己(他者・環境)とするような関係等価原理は無用のはずである<font size=1>(*)</font>。だからシステムは次回の作動を可能にするよう目論みながら現在の選択活動を行っているわけではない。それでは誤謬や失敗、苦は描くことができない。我々は超越論的な擬似到達を仕損じようとも自己の作動継続を保持するようなシステムを用意しなければならない。なぜなら苦は死を意味しているわけではないためである。苦とは偶然性であって本来的に内属したものなのではない。苦しむ必然性など寸毫もないのである。</p><p><font size=1>(*)　河本英夫［1995］『<small>第三世代システム</small>&nbsp;オートポイエーシス』青土社1995　例えば221頁以下。</font></p><p>　システムにとっての利己性とはシステム／構造の存続にあるわけではなく、単なる自己図式の再構築でしかないはずである。前進的であろうが後退的であろうが無関係に自己現象の中立的な知を求めて作動しているに過ぎない。分子化されたセットを構成素集の最小単位として自己組織性を描写する関係等価原理は接点なく同一位相に留まろうとする現象をどのように記述すれば良いのであろうか。プレ・セットのまま浮遊する構成素因も環境(他者)として位置付けるとでも主張するのであろうか。たしかに未関係の素因自体は構造的な論理文脈へとデコードできないために共有性がなく、積極的な操作性がないという点において環境的といえる。しかしそこに直知的な道具性がないからとしても、システムはこの素因自体の意味を把持している以上、それは間主観的な超構造体とは範疇を異にしたものにしなければならない。この局面を未分化にするとシステムは環境に遍在する他者的な意志を採取するような自己組成系となってしまい閉鎖性に違反することになる。</p><p>　ここで未関係の素因自体を活動原理的なエントロピーとして理解することによって関係等価による批判の批判があるかもしれない。「同等の真理値を自体的に主張し続ける素因など初めから存在性のないものであり、苦や絶望はシステムの空転を意味するのではなく閉鎖的作動そのものである」とする主張である。どのような関係の断裂であろうと絶望の文脈を紡ぐのであれば、それはシステムの選択項であるとする反駁に対して、ここでは一般化されている現代システム論が謳う、未来を前提にした現在の選択原理を批判しなければならない。苦や絶望がシステムの空振りを意味しないのであるのならば「次回の作動を可能にするよう」などといった論述は不必要なはずであることを再度確認されたい。これは哲学／科学の区別が曖昧なシステム論が良くおかす誤謬であるので心的システムに則ったかたちへと後述するが<font size=1>(*)</font>、その前に関係等価原理による還元・回収的機構を積極的に理解した場合の功罪を吟味しておかなければならない。</p><p><font size=1>(*)　さらに加え心的システムの理論構築において科学を批判材料にすることの批判があるかもしれないが、科学による越権的な人類記述が初めにあることを指摘したい。</font></p><p>&gt;&gt;<a href=3.htm>次頁へ進む</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：2：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>