<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>定着と剥離 [1/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><strong>芸術性理論研究室<br><font size=3 color=#646f76>M<font color=#667077>e</font><font color=#677279>t</font><font color=#68757c>a</font><font color=#60777e>f</font><font color=#717b82>o</font><font color=#747e85>r</font><font color=#7a8389>c</font><font color=#80898f>e</font><font color=#889096> I</font><font color=#8e9698>c</font><font color=#959da1>o</font><font color=#9ea5a9>n</font><font color=#a7adb1>o</font><font color=#b0b6b9>c</font><font color=#b6bcbf>l</font><font color=#bdc2c5>a</font><font color=#c7c8ce>s</font><font color=#d6d9da>m</font></font></strong></div><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[017]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>定着と剥離 [1/5]</font></div><div align=right><font color=#351923>ayanori [高岡 礼典]</font></strong><br><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：1：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p>　天を仰ぎ見て、彼方へと手を伸ばしてみる。地へ視線を落とし、足を踏み締め、大地の感触を確かめてみる。一瞬たりとて把捉場面がないために前者が無限を示すのに対して、後者は部分的であろうとも、手に取り抱擁することができる有限である。焦点は決して留まることなく彷徨い続け、肢体は必ず他者に自己を含意させ、脱文脈的で非情報的な没動因与件を創発する。構造的な限界設定は視覚ではなく触覚を司る器官によって決定される。そこで再度、天地様相を確認してみると、無限に延びていく天に対し、垂直軸上に位置する地には幅が一切ないことに気付く。地は常に足の裏、もしくは肢体のどこかと接触することによって、下方への位階記述を禁止しているのである。高層建築の屋上に立とうと、戦闘機やロケットに搭乗して音速で移動しようと、我々が人類的な社会生活を確保するには、当然的にソリッドな非自己と密接なる関係を持たなければならない。つまり『上方の無限、下方の無』である<font size=1>(*)</font>。もし下位記述に幅があるとするのならば、それは自己構造が担うことになるだろう。最大は起立時であり、最少は俯せに横たえた時、額と鼻、胸の頂点を結んだ相対関係によって導き出されることになる。しかしこれは演繹可能な下位モデルではない。天は不特定な他者と無限性を共有することができるが、自己構造による下位幅は他者観察では水平軸上に位置する対象でしかない。下方は自己へと無限に還元される限定された概念である。これはヒエラルヒーとハイアラーキーが本来的に非同等であることの論拠であり、位階秩序自体が誤った概念であることを教えてくれる体験である。人は自責へと臨む自己契機を現象化できるような存在性を本有している。</p><p><font size=1>(*)　十字架の原初形体が上位幅のないタウ十字&nbsp;[&nbsp;T&nbsp;]にあるのとは対照的である。</font></p><p>　そこで今度は目蓋を閉じて、遥かなる天をつかみ取るかのように手を伸ばしてみる。視覚不在による触覚のみよる対象探索は予期の一切を禁止されてしまうので、ハザードへの『恐怖』を知ることになる。空を遷移し続ける、定点なき視覚以上に触覚器官の「彷徨い」は無限である。何かを触れようとして伸ばした手の平の先へと続く空間は無であって、場ではない。「何か」が『何であるのか』分からなければ、場の位格は表れないはずである。暗闇での肌の外側は対象接触を待たない限り、無の無限に包囲され、自己すら喪失した前器官なのである。手の平が何かを捕らえた刹那に我々は自己の身体シェーマを取り戻し、被接触者と共にある社会相を知るに至る経験はありふれた日常である。</p><p>&gt;&gt;<a href=2.htm>次頁へ進む</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：1：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>