<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>相愛 [4/4]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[018]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>相愛 [4/4]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：4 】</font></div><p>&gt;&gt; しかも身体器官の構造上「なめる」という能作の最中において、舐めている対象を視覚把持することができないため、舌は純粋触覚と呼べる。その超視野性と味覚情報の自体性との共働によって第三の系へ自己の視点を観ることができる。なぜなら味覚の情報域とは、その本来性によって系を形成しないためである。確かに我々は味覚内容によって、可食(自己)／不可食(他者)の判断を行っているかもしれない。しかし厳密には前場面での学習を参照項とした相対的な判断であって、味覚自体には一片のコード性もないものである。当然それが食物であるか否か、有用であるか否かを判断するには体内での消化や文化背景といった遅延を必要とするのだから、有内容な判断性を味覚へと求めることは、生得観念を謳うも同義である。仮に今この一瞬の摂食行動が先取的な味覚判断に基づくものならば、現代に生きる我々に栄養学の大部分が不必要になるはずである。現在における味わいによるカセクシスは過去の現象化と未来の過去化を指し示すのであって、明文的な充足現象があるわけではない。この論理的記述を拒絶する味覚の特殊性を形容しなおすのならば、即自感覚と呼べるだろう。くりかえすが「まずくて吐き出す」という一見免疫活動であるかのように思える全身運動は通時的に形成された味のホメオスタシスのようなものであり、無根拠的な反射でしかなく、味自体には決定性のない動作である。それがどのような味であろうと、味覚内容を創発し、自己域へのプログラムへと列挙・構成していく様はまさに即自的であるといえる。そしてここに舌による愛撫にはエクスタシスを超えうる可能性が潜在している。</p>
<p>　二人はそれを道具として利用することにより、互いを記述外へと再配置することができるのである。恋人や配偶者を愛撫する舌は構造的に下から上へと肌の表面を沿っていく。この際になんらかの体液が表面に付着していた場合、愛撫者は他者を味わいながら触知の含意性によって、自他の上位下位軸を同化することになる。それは相手の頭上から足もとへ向けてクローリングしたとしてもである。味覚の即自性によって『他者の味わい』は自己の構成素集となり、舌と肌との連続的な密接性により、前場面での「自他分化」を明らかに分化し、第三の系へと自己を止住させ、新たな行為原理を得ることになる。すべての指示代名詞を没化する味覚情報・与件によって媒体性が原理化し、舌という感覚器官は受容性を超えていく。その触覚との相即的浸透により、愛撫者と被愛撫者の位置的な緊密関係という条件が視点へと変位する。この時、愛撫を受ける者は干渉を許すという能動的な連動性により、愛撫者へその変位を与え、他者としての他我と自己としての他我を創発する契機を提供し、それによって相愛現象が守られることとなる。相愛とは相思という前提にある寛容性を味わうことによってのみ原初場面へと至ることが可能な誤謬の妥当性・理解である。</p><p>＊＊＊＊</p><p>　真理のみを抽象項として設定してしまった人類は、いつからかそれが揺ぎない仮説といった必要体であるにもかかわらず、無理解であるという多くのディレンマを抱え込んでしまった。相愛もそのひとつである。ここに我々は形容と概念制作の浸透場面を叙述・テクスト化することにより、「私と貴方」のアマルガムを創出した。相思現象が記述外のものであろうと、恋する者らはここから相愛の実様相を観想することができるはずである。それが一時の幻想であろうと、二人という絶対不可侵に創発した相愛は反駁しがたい有限の真理であり、その後の歴史を構成する結節項である。</p><p align=center><font size=1>METAFORCE ICONOCLASM 2007<br>ayanori [高岡 礼典]</p><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：<a href=3.htm> 3 </a>：4 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>