<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>懐胎と分娩 [3/5]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[021]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>懐胎と分娩 [3/5]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</font></div><p>　羊水に着目する理由は、それが液体であるが故でも、懐胎によって発生する対象的な後行者であるが故でもなく、「胎児と母体の間を取り巻く接続の担体であるが故に」である。「接続」と形容してしまうと、まず臍帯を論じなければならないかのように思える。しかしながら懐胎中の母は胎児の痛みを感じ取れないはずであり、臍帯自体の知覚も不可能なはずである。それは胎盤批判の際に辛うじて触れられる準項目であるか、もしくは分娩まで待たなければならない視覚対象であろう。母が自らの血肉の犠牲を子への直接的な臓器提供として想いを馳せる時、実際的に認識域へと契機・対応している知覚構造は臍帯ではなく、膨張し皺ひとつなく張り詰めた腹部の肌理と羊水／胎児が織り成す胎感である。自身の腹部をなぞる手の平は、以前までの「柔らかさ」にはなかった「硬さ」に、それまでにはなかった意味を読解・誤読しているはずであり、羊水のメロディーと胎動のリズムが繰り返す楽曲に、単一的な&ldquo;&nbsp;solid-wriggle&nbsp;&rdquo;とは異なる複合的な文脈を構成しているはずである。そして、なぞり終わり、下腹部へと辿り着く手の平や圧迫を受け続ける臓器類等が胎動へ「重さ」の与件を与えているとするのならば、胎感内容は一般的な蠢きとは決定的に峻別される。</p><p>＊＊</p><p>　それでは、膨張からメタライズを始め、胎動を「重さ」によって『畏れ』へと帰結させよう。日常の我々が自己の動体軌跡を読み取るための身体与件のひとつに「肌の伸縮」がある。筋の伸長や表面どうしの接触によって内感・触知しているそれも、目を閉じ様々な運動を試みると、ごく限られた部分ではあるが、「伸びきる肌(の痛み)」を感じ取ることによって運動方向の限界を設定している箇所が分かるはずである。例えば、指を外側、手の甲へ向けて反らしてみる。指は一方向へのみ曲がるように構成されているので、すぐさま内側の肌に収縮への要求を感じ取るだろう。逆に内側へ指だけを曲げてみると、ささやかな血肉の圧迫とともに関節部分に違和感を読み取るかもしれない。本来、物理的な直線・回転運動に限度などないので、「無理に曲げて、へし折れた指」は「破損した指」でしかなく、それがあってはならない禁止項とするのは、指を自己構造として所有描写するシステムのみに当てはまる価値である。そのため、我々の身体構造には必要以上と思えるほどのリミッターを描き与えることができる。「伸びきる肌」はシステム／構造の瓦解信号となると同時に、次場面で選択すべき項の規範になる。肉を切らずとも、骨を折ることは可能なので、正しくは骨が系であり、組織構造は参照項を担う。指の運動例で着目すべき重要な点は、運動の最小範囲を決定する骨と連動しつつも遅延する肌とが、相互に斥け合わなければ出会えない場面である。関節部を折り曲げて現出する「伸びきる肌」は、伸長の臨界だけではなく、「肌の始まりの発生」を意味している。肌は接触や視覚の対象になることによって境界を常に見せ続けるが、内壁の知覚不在により、日常的な場面において不確定なエレメントであり、またそれ故に自己を社会的な共有項へと延長させる可能を担っている。しかし、骨格のような内部構造によって圧せられた肌は、内壁の現象によって始まりの獲得に成功し、局所的ではあるが、構造的な単位を構成しているはずである。肌の弾性に「柔らかさ」を観ている時、我々は身体構造全体のボリュームや強度を読み取っているのであって、肌自体を何ら観てなどいない。それは血肉へと続く延長場面であって、バインドされて初めて「肌」が『肌』になるのである。&gt;&gt;</p><p>&gt;&gt;<a href=4.htm>次頁へ続く</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a>：<a href=5.htm> 5 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>