<html><head><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"><title>肌を切り裂く [3/4]：芸術性理論研究室 metaforce iconoclasm</title></head><body bgcolor=#FFFFFF background=bg.jpg text=#303030 link=#303030 vlink=#505050><font size=2><a name=top></a><div align=center><font size=1>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>&or;<br>[<a href=../index.html>研究レポート目次</a>]<br>&or;<br>[024]</font></div><div><font size=1>─</font><br><strong><font size=3>肌を切り裂く [3/4]</font></strong></div><div align=right><font size=1>─</div><div align=center>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a> 】</font></div><p>&gt;&gt;なぞる手の平は他者の肌表面に断裂する「間」を読み与えることなく、密なる連続によって他者の周界を輪唱していく。ひとときも離れることなく愛撫する手の平は、そのまま開始点へと舞い戻り、終点不在の触覚営為から逃れられず、遷移を継続していく。部位があろうと、孔があいていようと、細かなディティールを含めて、身体は「一枚の肌」によって包まれている。肌はプロダクト製品の筐体とは異なり、後付けしたものではないので、パーティング・ラインの一本すらなく、分割できない。対象表面の立体的な連続性と「作り始めと終わり」のない分割不可能性は二重の完全性となり、肌は「まったきもの」、無を意味する。ここに限界効用の増減なき触覚が加わると、観察者は別離の契機を概念構成すらできなくなり、無限愛撫に泥酔していく。その「捕われ」は編み目も境界もない『無限の一面』によるものなので、被捕獲者には論がなく、穴がなく、解放された一面から抜け出られなくなる。愛撫による脱自がオルガスムによるそれと異なる所以は、辿り着く階梯が突破ではなく、無と平衡してしまうためである。それは内外批判や超越批判が当てはまらず、自体記述化されてしまう。</p><p>　ここで我々は観察者による他(者)の肌は「まったきもの」であるが故に無であることが分かった。しかもそれは接触によって前景化可能な無である。しかし、それも視触営為による「ひととき」のものであるため、捕えた無は捕らえられない無へと再度回帰していく。それを引き止める術は創造による殺傷が必要になる。幸いなことに健常者ならば腕が二本ある。(死)体の肌をなぞる手とは他方の手に刃物を握り、自由に操作可能なはずである。刃先を肌に押し付け、突き刺し、切開が可能なことだろう。執刀者は二本の腕を操り、容易に創傷制作可能であろうが、その端緒で着目すべきは、肌が切り開かれていく過程・運動ではなく、刃先を肌に押し付ける瞬間、もしくは、突き刺す決意にある。鋭利が肌の弾性や硬度を超え、切り裂きつつある過程は、始まってしまった運動であるため問が立てられず、自動化されているが、その決意場面は意志による行為接続問題があるため吟味が可能である。肌を押し付ける刃先は、それを突き刺さなければならないわけではなく、再度「空」へと舞い戻れる可逆の相にある。肌を切り裂く行為は「まったきもの」に始点と(終点)をつくるため、圧迫の場面にこそ執刀者の力が問われる。この力は&ldquo; force &rdquo;でも&ldquo; power &rdquo;でもなく、聖霊・愛である。短絡的ではあるが芸術力と理解してもよいだろう。</p><p>　なぞる手の平によって、自己を含意し、自他の補集合を形成する他(者)の肌の切開は無と根拠への超越重複を意味し、執刀者は理由なき所以を無限に責められることになる。知的かつ心的な存在であることを絶対項として、無への恐怖から切り裂きを肯定・説明する行為過程に対して、創傷の位置価は「まったきもの」の中では強度を与えられず、その所在は没最適化を継続していく。『愛』が「まぐわい」を指し示すとは限らないように、『憎悪』が「あやめ」を招くとは限らないように、切開の志向は、そこにつくられる傷の具象内容を決定付けない。執刀者の器用さ・技術、握る刃物の形・大きさ・研がれ具合、横たわる(死)体の肌の質・強度等、様々な相関的要因によって、なめらかな外科的創傷にもなれば、引き千切られたかのような裂傷にもなる。そして、つくられた傷=口は制作の前後に関係なく、「そこ」につくらなければならない位置的な当為理由がなく、ただ認めざるをえなくなる。これを「存在の同語反復」と呼ぶのならば、我々は「傷=口」の視触把持・単位化が可能なはずである。しかし「傷=口」は絶対性を帯びているにもかかわらず、その超構造性によって境界賦与を斥け、光に闇を灯す。</p><p>　ここから「脱血した(死)体」を用意した理由が明らかになっていく。切開は ... &gt;&gt;<a href=4.htm>次頁へ続く</a></p><div align=center><font size=1>【 頁：<a href=index.html> 1 </a>：<a href=2.htm> 2 </a>：3：<a href=4.htm> 4 </a> 】</div><div>─<br>─</div><div align=right>&copy; <a href=../../copy.htm>ayanori.jp</a><br>─<br>─<br>[△<a href=#top>PAGE TOP</a>]<br>[<a href=../../index.html>HOME</a>]<br>[<a href=../../map.htm accesskey=0 directkey=0 nonumber>MAP</a>]</div></font></font></body></html>